こんぱく【梱薄】コンパクト(compact)。「梱」はしばる,たばねるの意。「薄」は薄いの他,少ない,軽いの意でも用いられる。
希哲10年3月28日頃,宇田川浩行により考案。
希哲14年2月15日,上等訳語に採用。
デライトでは,「フリーソフィー」(freesophy)を提唱している。無料(フリー)哲学(フィロソフィー)の意だ。
いわゆるフリーミアムよりも無料であることに重きを置く考え方だが,「哲学」と言うだけあって,ビジネス模体に留まらず,経営思想でもあり設計思想でもある。
フリーソフィーの考え方を端的に表すため,「無料は品質」という言葉を私はよく使う。つまり,無料であるかどうかは,単に価格設定の問題ではなく,サービスの品質に直結する問題でもあるということだ。
当然ながら,デライトにもサービスとしてどのように収益を上げていくかという課題があり,フリーミアムも含めて様々な選択肢があった。検討を重ねた結果として,全ての主要機能を無料で提供し続ける道を選ぶことにした。
大体無料にした方が,サービスの設計は単純化出来,可接性・可使性も向上するからだ。
まず,フリーミアムを採用している多くのサービスにあるような「料金表」をデライトには掲げたくなかった。これは美的でもないし,こんなものと用者を睨めっこさせたくない。支払い手続きで煩わせるのも嫌だ……等々と,サービスをいかに握接しやすく,使いやすいものにするかということを追求していくと,結局無料にせざるを得ない。
無料が理想なら,課金は必要悪だ。用者から直接金を取らずに問題なく経営していけるなら,課金サービスに意味は無い。
課金しないとなると頼りは広告くらいだが,デライトでは広告もかなり抑制している。少なくとも,用者体験を損うような広告は付けないようにしている。
もちろん,大抵の企業にそんなことは出来ない。しかし,超高効率経営を実現している希哲社には出来る。先日書いた文章(ネットサービスにおける「成功」とは何か)でも少し触れているように,デライト開発・運営には驚異的に金がかかっていない。
もっとも,あまりに開発体制を梱薄にまとめてしまうと,課金に関する事務負担が馬鹿にならず,あまり旨みが残らないという問題もある。そういう意味では,超高効率経営とフリーソフィーは切り離せないのかもしれない。
困ったのは,無料であることを経営思想・設計思想にまで深めた考え方を表現する言葉が無い,ということだった。
フリーミアムでいう「基本的な機能」と「高度な機能」に明確な定義は無く,提供者側の都合で割とどうとでもなる。顰蹙を買っている Evernote は分かりやすい例だが,個人知識管理サービスは長期的に用者の知識情報を預かるものだ。金次第で将来的に利用が制限されるかもしれない,という不安はサービスの根幹に関わる。
しばらく悩み,ある時ふと閃いたのが「フリーソフィー」だった。
単純に音の響きもフリーミアムに負けず劣らず良いが,ことフィロソフィーを看板にしている希哲社にとってこの上無い語感の良さ,意義も的確,新規性も十分,「無料哲学」と和訳しても分かりやすい,と満点だった。
こんな文章を書いているのも,正直,あまりにも出来過ぎた造語なので自慢したかっただけかもしれない。フリーソフィー……とにかくやたら言ってみたくなる魔法の言葉だ。