こんそう
宇田川による「コンセプト」の訳語。
希哲11年1月11日考案。
明日から長期安定体制仕上げの後半戦だが,旧雑務も想定より早めに片付きそうで,早速気持ちが弛緩し始めている。
長期安定体制の完成まであと一息という希哲館事業・デライトとは対照的に,Twitter は崩れ落ちる音が聞こえそうなくらいの混乱ぶりで,ついに,Twitter の名称と語体を「X」に切り替えるそうだ。既存用者が気の毒なくらい,ブランディングやデザインの観点からは明らかな悪手だが,色々考えさせられた。
イーロン・マスクが,センスの権化のような存在だったスティーブ・ジョブズと一部で並び称されることにずっと違和感があったのだが,やはりこの人には根本的にセンスがない。
「X」になんとなく既視感があるなと思ったら,14歳くらいの頃の自分も,「X」のような意味深な名前で,漠然と万能な凄い司組を作りたいというようなことを考えていたからだったことに気付いてしまった。イーロン・マスクという人は,本当にその辺の中2の感性を何のひねりもなく50過ぎまで持ち続けているのだなと思う。難解で理解出来ないのではなく,幼さが痛いほど分かってしまう。
司組も大きく改変されて,Twitter というブランド・根想が辛うじて,表面的に Twitter らしさを保っているだけだなと思っていたところなので,この変更をもって事実上「Twitter の終焉」とすべきなのかもしれないとも考えた。しいて言えば,用者と献典が依然として残る遺産だが,それも,所有者の感性がこれだと腐っていく気しかしない。
もっとも,とっくの昔にゾンビ化していた Twitter をそのまま健全化するなんてことは最初から無理な話だったわけで,マスクはその現実を覆い隠さず世間に突き付けただけとも言える。ゾンビになっても騙し騙し生かされてきた Twitter にとっては,ようやく安らかに眠れる良い機会かもしれない。
脳爆発のおかげで検討作業では大きな収穫があったが,思考が広がり過ぎたか。サイクリングでそれなりに身体を動かしたにもかかわらず,夜は脳疲労感が強かった。他にちょっとした幸運があり,少し気が緩んだことも影響しているかもしれない。
最近,ちょくちょく「KNS の経済的合理性」について考えている。考えれば考えるほど,KNS は SNS と PKMS の相補的・相乗的な発展形であると同時に,経済的合理性において唯一の解だと思えてくる。
SNS の経済的な問題は,「献典の質」にある。開放的にして人を集めると,どうしても粗悪な献典が増える。そもそも,SNS における投稿は体験のための手段に過ぎないことが多く,献典としての情報価値が低い。
日常的な挨拶から「バルス祭り」まで,情報としての意味はない出与えを抱え過ぎている。砂金のために土砂を全部保管しているようなものだ。意味がないだけならともかく,不法行為やデマのようなものも誘発する構造を持っているのも厄介だ。放っておけば広告主が減るし,監視を強めれば人件費が増える。かつての匿名掲示板も同じ問題を抱えていたが,文字という最も軽量な情報が主でありながら維持費に収益が追いつかない理由だ。
他方の PKMS では,知的関心で献典が蓄積され,利用者も自然と内省的になるので献典の質や治安は総じて良い。
ただ,PKMS はとにかく「高コスト体質」になる。今まともに開発しようとすれば,厳重な制危と情報保護体制,複雑な WYSIWYG 選り手,自動保存,編集履歴,オフライン対応,ゆとりのある譜類上信機能あたりは基本として,OCR や人工知能くらい付いているのも当たり前になりつつある。デライトがこれらの機能を上手く切り捨てられているのは,やはり KNS という根想によるところが大きい。どれも SNS なら必要性が低い。
しかも,PKMS は閉鎖的なサービスなので収益化手段は限られ広告宣伝費もまともにかかる。Evernote にせよ Notion にせよ,SNS に比べると規模的には伸び悩みの状況にある。
そこで KNS たるデライトの出番というわけだが,KNS は KNS で「新し過ぎて理解してもらうのが難しい」という問題を抱えている。逆に言えば,ここさえ突破すれば SNS の次と PKMS の次を同時に創出出来る。SNS をメモ通類として使っている人,PKMS を情報発信に使いたい人はそれなりにいるので,突破口は確実にある。
デラングによる「対 Markdown 戦略」を市場戦略の一環として加えることにした。昨日こんなツイストを書いてみて,デラングがデライト市場戦略の中で大きな役割を担えることを確信した。
デライト市場戦略は,まず対 Roam Research 戦略を中核としたところから始まり,第二次市場戦略以後は対 Notion 戦略を一環と位置付けていた。要は,旧来の個人知識管理通類の限界を越えようとするこれらのサービスの流行を利用して,最も根源的に個人知識管理の革新を目指すデライトを売り込む,という目論見だった。
しかし,英語圏での事情は多少異なるようだが,少なくとも日本ではどちらもそこまで大きなうねりにはなっていない。一番勢いのある Notion ですら,まだ「一部界隈の流行」の域を出ていない。個人知識管理サービス市場も,全体としてそこまで拡大しているようには見えない。
結局のところ,デライトが必要になる層というのは「既存の個人知識管理通類に限界を感じている人」なわけで,その層が広がってくれることがデライトにとって一番の追い風だ。その当てが外れた格好になっていた。
第二次市場戦略以後は,こうした外部環境への依存から脱却しているので致命的な問題にはならなかったものの,個人知識管理サービス市場の拡大の遅さに対する苛立ちというのは常にあった。
「個人知識管理サービス」という枠組みにこだわるべきではないのかもしれない,とも考えた。
極端な話,デライトを「ゲーム」として売り込むのはどうかと考えたことすらある。「マインドクラフト」という言葉を造ったこともあるが,テキストによる箱庭ゲームと言えなくもないし,ゲームなら独自用語の多さも独特な世界観も演出になる。
そこまで行かなくとも,KNS なのだから SNS 方面に売り込むかなどとも考えたが,結局,根想からこれまで練り上げてきたものを考えると,そう簡単な話ではない。中途半端にあれこれやればますますややこしいものになってしまう。
最近のデラング整備の急速な進展により,他の軽標記言語との比較研究も進む中で,Markdown が想像以上に様々な分野に浸透していることに気付いた。
個人知識管理サービスでいえば,Evernote,Notion,Roam Research と,これまでデライトが意識することの多かったサービスはほぼ Markdown 対応であり,別種のサービスや選り手などへの広がりも非常に大きい。つまり,比較対象として,より幅広い層の関心を集められる。
これこそ,常々感じていた「個人知識管理サービス市場の狭さ」を越えていく道筋ではないかと思うようになった。
デラングはもともと「DIL」と呼んでいたデルン最初期から独立した言語だった。というのも,デルン初期実装では今でいう描写に使う言語は選択式であり,プルダウンメニューから txt や HTML などとともに DIL が選択出来る,という設計だった。
ただ,長い描出経験の中でほぼ必要なかったので,単純化を志向するデライト中心に移行する過程でこの選択方式は廃止となった。
この時点で,デラングにも岐路があった。単なる「デライト記法」の内部名称となるか,軽標記言語としてあえて主張するかだ。後者を取ったのは,「デラング」を正式名称として採用することにした昨年3月3日4歩のことだった。
「デライト記法」,あるいは当時考えていた「描写記法」とすると閉鎖的で恣意的なものという印象を与えてしまうが,「デラング」という言語とすることで外向きで体系的な印象を与える。もちろん,当時から Markdown を意識してはいたが,そこまで大きな位置付けではなかった。やはり,デラング整備の進展とともに認識が深まった感がある。
それこそ,デラングが Markdown のように注目を集めるようになったら,デライトに多大な利益がもたらされることは考えるまでもない。知能増幅サービスとしてのデライト自体よりも,軽標記言語としてのデラングの方がはるかにその役割が理解しやすいことを考えれば,そこまで非現実的な話でもないし,その技術も手応えも十二分にある。
まだデラング中心の「第四次デライト市場戦略」にすべきというほどの確信があるわけではなく,デラング整備は新生デライト開発に含まれるので,第三次デライト市場戦略に有力な武器が加わったというところか。
デラングはデライトにとっては描写用の軽標記言語だが,では,デラングにとってデライトとは何か,という問題があった。デラングを単なる「デライト記法」でなく独立した言語として扱うのであれば,これは無視出来ない問題となる。
具体的には,デラング文書の書き方などに影響してくる。デライトの「使い方」の一部としてデラング文書を参照する人にとって,その説明にデライトが出てくることはごく自然なことだが,独立した言語としてのデラングについて知りたい人にとってはそうではない。かといって,いちいち前置きしていたら読みにくいものになってしまう。
そこで,デラング文書の最初の方でデライトを「参考実装」と定義しておくことにした。どの道,デライト・デラング間の関係については説明する必要がある。
Markdown を筆頭に軽標記言語が注目されるようになったこともあり,デラング整備が進むにつれ「デラング」という根想への確信は深まる一方だ。デライトの市場戦略にとって大きな意義がある。ここで頭の整理をしておきたかった。
定休日だったため,気ままに考え事や開発作業などをして過ごした。
デライト収益目標達成に迫ったこともあり,個人知識管理サービスの収益性についてよく考えた。やはり,複雑・鈍重になりやすい上,人口も限られているこの種のサービスはまだ「儲からないサービス」だ。分野として主流になれない理由だろう。
少し気になることがあり,開発通類でいくつかのサービスを分析していたが,やはり実装の雑さで開発現場の状況や台所事情が透けて見える。
しかし,高度に最適化された実装技術,単純で見通しの良い設計,KNS という根想,超高効率経営など,デライトはそれを解決する鍵を揃えている。この少ない用者数で収益目標達成が見えてきたのもそのおかげだ。奇跡的に恵まれた状態にあるのだということを改めて実感した。
こんなことを考えていたら妙にやる気が出て,また夜更かししてしまった。あまり休めた気はしなかった。
当面の作業目標が定まり,ここ数日,晴れそうで晴れなかった頭のもやもやがようやく晴れた。
新生デライト開発では,開発効率に加えて収益目標達成に繋がる集客効果も加味して作業に優先順位を付けなければならない,というところまでは考えていたが,各付徴の集客効果をどう見極めるかというところまで思考が及んでおらず,この先の作業の進め方はまだぼんやりしていた。
それなりの休養と思考時間を取ったにもかかわらず,いまいち調子が戻り切らないとここ数日感じていたが,気付いてみればこれが原因だったようだ。先月下旬から色々なことがあり過ぎ,疲労の蓄積のせいかなどと思っていたため,昨日から半休にしていた。
何気なく,このごろ個人知識管理サービス市場についての情報収集をしていないなと思い少し話題を拾ってみたところ,Notion の流行にも一服感があり,やはりまだこの手のアプリ・サービスの用者には迷いがあると感じた。デライトは,その迷いを断てる明確で強力な根想を持つ唯一のサービスだ。問題はその伝え方だろう。
ここまで考えて,デライトならではの,デライトらしい付徴を優先させるという基準があることに気付いた。他所にもある付徴を取り揃えることは最終的に新生デライトが目指すところではあるが,その途上で収益目標達成を狙うのであれば,まずデライトの真価を見せなければならない。これで一気に優先順位が付けやすくなった。
集客といっても,デライトの限られた利素を考えれば,重要なのは“客層”だ。その意味で今のデライトは恵まれている。これをどこまで拡大していけるかが問題だ。その点でも,表面的な部分よりも深層的な部分でデライトを伝えられるようにしなくてはならない。
となれば,新生デライトの要件としてまとめた作業項目のうち,優先すべきは輪郭小窓とデラング整備ということになる。換配確認機能実装まで輪郭選り手整備を進めたらいったんデラング整備に戻る,ということまでは決めていたため,その後は出来るだけ早く輪郭小窓実装に着手,15日までの一段落を目指すことにした。その後はまたデラング整備に戻り,20日までにデラング文書整備を含めて一段落させることを目指す。
さらに,デライト開発における高速化・文書整備・機能整備はそれぞれ並列化・同時進行させることにした。高速化は握接量に対する相対的なものでどこで十分ということはなく,文書整備もデラング文書整備のように機能整備と交差させながら進めた方が効率的だ。
これで,柔軟性を残しつつ当面の作業見通しがだいぶ良くなり,デライト宣伝の挟み方も考えやすくなった。何より,「新生デライト開発途上での収益目標達成」が具体的に想像しやすくなったということが大きい。
折角の元日なので,新年の抱負などを考えながらのんびり過ごした。特に,デライト公式で新年の挨拶を書きながら「謙虚さ」についてよく考えた。
新デライト市場戦略における知能増幅メモサービスという根想には,どうにも覆い隠しがたい傲慢さがある。この種の技術は本質的に傲慢なものなのだからと開き直ることも出来なくはないが,処世術を抜きにしても何か引っかかるものがあった。
経験を重ねるにつれ,自分の能力や努力よりも,時代や環境の役割を大きく感じるようになった。特に昨年,あれだけの無茶をして結局大した傷も負わなかったことには環境の偉大さを感じざるをえなかった。結局,与えられた力を知能増幅メモサービスという形で「還元」するだけなのかもしれない。
根がここまで傲慢だと,いくら謙虚になってもなり過ぎることはないが,努めて謙虚であろうとすることよりも,感謝し謙虚にならざるを得ないありのままの自分を知ることが大切なのだろう。
それはそれとして,「謙虚に皆様の知能を増幅させて頂く」といった表現は単純に面白いので,宣伝上の演出としては少し過剰なくらいがよさそうだ。
10ヶ月後,11月1日までのデライト収益化を目指し明日からまた走り出すが,まずは大分乱れてしまった生活律動を直したい。昨年11月頃からなおざりになっていた副日記も今日からしっかり付けていく。